
代表取締役社長
竹田 生史さんShoji Takeda
錦町出身。高校卒業後、横浜の名門花屋で修行。2005年に錦町へ戻り、家業である「花工房たけだ」を継ぐ。商工会活動にも積極的に関わり、地域の活性化にも力を入れる。妻と4人の息子と暮らす。
知らない世界へ飛び込んだ
花屋修行時代
「花屋の仕事を本格的に学んだのは横浜での修行が始まりだった」
竹田生史さんは、そう振り返る。4人きょうだいの中で唯一の男性。幼い頃から「家業を継ぐのは自分」という空気を感じていた。特別な夢もなく、高校卒業後の進路を決める頃、花屋の道に進むことを選んだ。
修行先は、全国の花屋の後継者が集う横浜の老舗。天皇陛下の献上花を担当するほどの名門だった。「修行し始めた当時は正直、ヒマワリの名前を知っている程度で、花の知識はゼロだった」と苦笑する。同期は専門学校を経て修行に来た者ばかり。知識も技術もない竹田さんにとって、最初の一年は地獄のようだったという。
「悔しかった。だから負けず嫌いな性格で必死に食らいついた。社長が特別に1年間、レッスンをしてくれたおかげで、やっとものになった」
神奈川県代表として技能五輪にも出場。全国5位内に入賞し、技術を証明した。だが、修行して4年がたち、さらなる経験を積みたかった竹田さんに、家業を継ぐ時期が訪れる。
都会と地元のギャップを感じ
人付き合いからスタート
横浜であと2年は働きたかった。しかし、父から「家が忙しい」との連絡が入り、錦町へ帰郷。そこで感じたのは、都会と田舎の「花の価値観の違い」だった。
「向こうでは最先端のデザインを学んだが、地元ではそれが求められない。『おやじいる?』『かあちゃんいる?』と指名され、自分には注文すらこない。何のために修行したんだろうと思った」
しかし、地元の商工会に入り、人とのつながりを作ることで信頼を築いた。「若い人は自分に、年配の方は親に」と客層の幅が広がり、花屋としてのスタイルを確立していった。
『花工房たけだ』のモットーは「人吉球磨で一番の品ぞろえ」。鉢物・切り花・雑貨類を豊富に揃え、特に仕入れにはこだわる。オンライン注文が主流の時代だが、「花は見て買うべき」という信念のもと、熊本はもとより、宮崎や福岡など九州圏内を自ら回って目利きをする。
人生の節目に寄り添い
人とつながる仕事
「出産、入学、卒業、誕生日、結婚、葬儀―。花屋は人生の節目に関わる仕事」
竹田さんが花屋の仕事にやりがいを感じるのは、そこにある。
「職場体験に来た中学生が、大人になってまたお客さんとして来てくれる。『覚えていますか?』と言われると、本当にうれしい」
毎年、地元の高校では卒業式前にコサージュ作りを指導。15年以上続けているこの取り組みも、若い世代とのつながりを生むきっかけになっている。
また、商工会の夏祭りでは10年以上ステージ司会を担当し、町の人々との交流を深めた。「そのおかげでおしゃべりになった」と笑うが、竹田さんは錦町の活性化について真剣に考えている。
未来を見据え
錦町から新しい挑戦を
「『錦町といえばこれ』という商品が欲しい」
SNSの普及で、情報発信の方法も変わった。卒業式シーズンには、インスタグラムで話題の花束を見た若者が「こんなのがほしい」と訪れることも増えた。「バズれば一気に広まる時代。錦町から発信できる商品を作れたら面白い」と竹田さんは考える。
また、2024年度までの2年間、熊本県の商工会の理事として、県内のさまざまな事業者とも交流。農家とのコラボや、新しい流通ルートの開拓にも可能性を感じている。
「さまざまな業種が協力し合えば、錦町の特産品が生まれ、さらに町が活気づくかもしれない。今は漠然とした考えだけど、少しずつ形にしていきたい」と笑顔で話してくれた。