瀬戸の伝統を、錦町の食卓へ。陶祥窯
陶芸家

福岡 陶祥さんToushou Fukuoka

錦町出身。1980年、愛知県瀬戸市の「名古屋人形製陶所」に入社。県立窯業職業訓練校を経て、赤津焼の窯元「霞仙陶苑」にて研鑽を積む。瀬戸での独立を経て、1993年に帰郷し陶祥窯を開く。1999年には「くまもと未来国体」にて水上村の神事用神器を製作。2023年、熊本県伝統的工芸品の指定を受ける。2人の子育てを経て、現在、妻との2人暮らし。

静かな集落に佇む
手仕事の拠点

錦町ののどかな田園風景が広がる木上(きのえ)地区。住宅が点在する静かな集落のなかに、入り口の壁に「陶祥窯」と記された一軒の工房が見えてくる。時折、轆轤(ろくろ)の音が心地よく響き、工房には土の香りが穏やかに立ち込める。

ここは、陶芸家・福岡陶祥さんが営む創作の拠点だ。普段は制作に没頭する静かな時間が流れているが、毎週開催される陶芸教室の日には地元の生徒さんたちが集い、和やかな活気に包まれる。

「陶祥窯の器を求めて、遠方からわざわざ足を運んでくれるお客さまがいらっしゃることが何よりもうれしい」と語る福岡さん。大のコーヒー好きで、取材時は自ら焙煎した豆を自作のカップに淹れてもてなしてくれた。その一杯には、この町での暮らしを慈しむ福岡さんの優しさが溶け込んでいるようだった。

憧れの産地、赤津へ
修行時代に磨いた伝統の基礎

高校卒業後「ものづくりを一生の仕事にしたい」と陶芸の世界を志した。叔父が住んでいる愛知県瀬戸市の「名古屋人形製陶所」に入社したのが1980年のこと。現場で働くうちに基礎を体系的に学ぶ必要性を痛感し、翌年に技術専門校へ入校した。

卒業後は、憧れの陶芸家・鈴木五郎氏が修行していた赤津焼の老舗窯元「霞仙陶苑」へ移り、住み込みで修行を積んだ。 そこでは量産品の制作から段階的に技を磨き、桃山時代から続く赤津焼の7種類の釉薬(ゆうやく)を自在に操る技術を習得した。織部の緑や黄瀬戸の黄、志野の白など、バリエーション豊かな美しさに触れた日々が今のものづくりの基礎となっている。福岡さんは「瀬戸だったからこそ、今の自分がある」と当時を振り返る。

故郷、錦町での再出発
決意を後押しした町の仕事

瀬戸で12年の修行を経て独立し、技術専門校の講師も務めていたが、1993年に父の体調不良をきっかけに故郷の錦町へと陶房を移した。帰郷後まもなく、錦町役場の新庁舎落成に伴う数千個のフリーカップ制作という大きな依頼が舞い込む。 「この仕事があったおかげで錦町での活動を軌道に乗せられ、瀬戸で出会った今の妻をこちらへ呼び寄せられました。仕事との出合いが、この地で家族として歩み出す大切な縁を運んできてくれたんです」

最近では工房のそばにピザ窯を自作するなど、暮らしを豊かに彩る情熱は尽きない。「自然が豊かで食べ物もおいしく、物作りをするには最高の環境」と語る福岡さん。錦町での日々を心から満喫しながら、今も新しい表現を模索し続けている。

時代に寄り添う器を
伝統的工芸品として次代へ

現在は年に数回の個展や企画展を中心に活動し、熊本県内のみならず、かつての修行地に近い京都などでも作品を発表している。個展会場には長年のファンに加え、普段使いの器を求める若い世代も多く訪れる。福岡さんが大切にしているのは、家庭の食卓で毎日使われ、手に取るたびに「やっぱりこれがいい」と思ってもらえる機能性と温かみだ。

その長年の真摯な活動が実を結び、2023年には、確かな技術と地域文化への貢献が認められ、熊本県伝統的工芸品の指定を受けた。

「とりあえず、70歳までは現役でバリバリやりたいですね」

自然豊かな錦町で、土を捏ねる。福岡さんの作る器一つ一つから、熟練の技とともに、この町での暮らしを謳歌する豊かな鼓動が聞こえてくるようだ。